「ヴァルト准将!!」
息を切らして駆け込んできたのは、部下のアトリア大佐だった。肩で大きく息をしながら彼女は私に向かって敬礼をした。
「報告します。東方に展開していた我が軍が謎の生物の一撃により全滅、全兵士に撤退命令を出しましたが、このままでは壊滅の恐れも十二分に有り得る状況です。閣下、どうかご判断を」
我が軍が、たったの一撃で、全滅。
そのような状態で下せる判断など、ある筈もなかった。然しながら、相手が人間であれ化物であれ、私が出れば多少の時間稼ぎにはなるであろう。
「……私が出る。貴君は本国への連絡を済ませた後、速やかに撤退せよ」
「し、しかし!!」
大佐が発言し終える前に、剣を片手に飛び出した。


惨憺たる光景がそこにはあった。人の形をしていたであろう肉片の浮かぶ血液の海がそこには広がっていた。その中心に立つ、人のような"それ"は、私の存在に気がつくとこちらを向いた。
「……汝、何者なるや?」
竜に跨り、右腕に大蛇をもち、背中にはまるで天使のように大きな羽が生えている"それ"は、その容姿からこの世に存在すべきものではない者であるのが一目瞭然であった。そして同時に、下手な返答をすれば私自身の命が脅かされるということが十分に理解出来た。
「私はシュトラール国防部隊第1軍准将ヴァルト・ルーカスだ。……我が軍をよくも、この様な状態にしてくれたな」
「何か不満があるというのか?」
骨に響く程の低音が、全身に走る。
「…新しく人員を補充しなくてはならないではないか」
人ならざるそれは、奇妙な笑みを浮かべ、高らかに笑い出した。
「…貴様、面白い人間だな。余は非常に気に入った…交渉をしようではないか」
それは静かに、ゆっくりと、浮遊した状態で私に近づきつつ語り続ける。
「この世界はそう遠くないうちに滅ぶであろう……それはこちらとしても非常に都合が悪い。そこで貴様に働いてもらいたいのだ。」
"遠くないうちに滅ぶ"
心当たりがない訳では無いのだ。国家間での争いも宛ら、蔓延る魔物の数が近年で明らかに増加しているのだ。強力な魔物の出現も確認されており、我が国家の全戦力でも国防に支障が出るのではないかとまで考えられているのが現状だ。
「…交渉内容を話していただきたい」
不敵な笑みを浮かべ"それ"は続ける。
「貴様に余の力を貸してやろう。貴様が持っていたこんな脆く、力のない人々の集団を遥かに凌駕する絶対的で圧倒的な力を。」
"それ"は地上一帯に浮かぶ肉塊を見て嘲弄し、私の目を見た。
「……私が差し出すものは一体何なのだ」
「魂だ。一時的なものではあるがな」
「一時的?」
「そうだ。この世界を滅ぼさず、尚且貴様が生きていれば契約は解除され、貴様は余の力を失うが魂は返される。世界が滅んだ場合、滅びを止める前に貴様が死んだ場合はその魂を頂く」
まるでお伽噺のような条件だが、それも悪くないと思った。
「交渉を呑む。是非ともその力をこの私に貸していただきたい」
そういうと"それ"は瞳を閉じ、告げた。
「此処に誓いは立てられた。序列29、名はアスタロト。ヴァルト・ルーカス、汝の御霊を代償に我が力を貸そう」
身体から魂が抜けるような感覚がした。感覚が戻ると、右掌に青空のように澄んだ青い水晶が握られていた。アスタロトの姿は何処にもなく、血の海に立っていたのは私ひとりになっていた。
『聞こえるだろう?ヴァルト』
脳に直接響くアスタロトの声。
『その水晶は無くすな。そして壊すな。それが貴様の魂だ。』
……これが?
『これから先の選択に余は何も言わぬ。軍とやらを抜けるも、在籍するも貴様の自由だ。何、簡単な話であろう?契約に背くようならば魂を喰らうだけよ』
そう告げると『貴様には期待しているぞ』と言い残しアスタロトの気配は消えた。
破滅の根源を絶たなくてはならないが、その根源が一体何なのか私は何一つ知らない。そしてそれを調べる為には現在の身分が確実に行動の制限をしている。
「……とにかく本国へ戻るか」
確かめたいことがまだ、私にはある。


* * * * *


「どういうこと、なのよ……」
やっと出てきた言葉は、それだった。見慣れた人々の無惨な姿。右の掌に握られていた2つの深海のような深い蒼の水晶と赤く染まった地面。理解の追いつかない頭を、現状を飲み込めない自分を「しっかりしろ」の一言で無理矢理に動かした。そうしなくちゃ、とてもじゃないけどその場から動けないように感じたのだから。
"ウァラク"と"レラジェ"。2体のよく解らない何かに結ばれた契約。
村の人々全員が死んだ訳では無い。それでも…この惨状はとてもじゃないけれど、見ていられない。
「……貴女は早く目的を果たしなさい」
背後からした声に驚き振り返ると、大叔母様がいらっしゃった。
「ですが」
「いいからお行きなさい。貴女にこの世界の存亡がかかっているのでしょう?ラナ。貴女はフリュスターンの誇りある魔導士。そのことを忘れなければ良いのです」
全てを見透かすような大叔母様の瞳が私の身体を突き抜ける。……そう。そうよ。私はフリュスターンの誇り高き魔導士なのよ。
「……荷物をまとめ次第、村を発ちます」
そう言った私の目を見ると、大叔母様は微笑みを浮かべ「持って行きなさい」と2本の短剣をくれた。
「これは特殊な短剣……貴女には、いずれ渡すつもりでいたのですがね。貴女ならこの短剣を制することができるでしょう」
「有難うございます、大叔母様」
大叔母様の手は、私の手を大切そうに優しく撫で、離した。私が頷くと大叔母様も笑って頷いた。行かなくては。私にしかできないのだ。