「ねぇねぇリア大佐」
不意に隣にいた少女に話し掛けられた。
「どうした、ダンタリオン
「その呼び方だーめ!リオンって呼んでって言ったでしょー?」
ぶー、と言い口を尖らせ明らかに不満げな顔をみせるダンタリオン。こうしているのを見ると、本当に普通の少女と変わらないのだが。
「わかったよ、リオン。それで?」
「リア大佐は場合によっては最後に魂を私に取られちゃうのにさー、どうして"契約"したのかなぁって思ってさ」
はぁ、と大きな溜息が零れた。態々そんな事までこいつに言う必要はないのだが……この期待の眼差しと、これから死ぬまで共に歩まなければならない奴に、隠し事はするだけ無駄である。
「魂がどうなろうと関係ないさ。私はあの人の為に生き、あの人の為に死ぬからな。その後のことなど、どうでも良いわ」
「…………それってさぁ、恋だよね?」
リオンの"恋だよね"という一言に、私の身体は過剰なまでの反応を示した。顔が熱くなる、鼓動がどくん、どくんと脈を打つ。張り裂けそうな程に血液が身体中を巡る。
「ち、ちが、これは恋などでは」
慌てふためく私を見てリオンは「その反応は当たりだなー?」とにやにやしながら言った。
あぁ、何と馬鹿らしい時間。右手で額を押さえ瞳を閉じる。深呼吸をし、冷静さを取り戻す。
隣にいるリオンを見て、私は腰につけているポーチの中から灰色の水晶を取り出した。これが私の魂。この雨雲のように曇った色が、私の……。
脳裏に焼きついたあの言葉。
「貴君は本国への連絡を済ませた後、速やかに撤退せよ」
あの人は、無事なのだろうか。
兎にも角にも、私はあの人を探さなければならない。伝えなくてはならないことが、あるのだから。


* * * * *


少女を片手で担ぎ上げ、全速力で走る少年が1人。追っ手は、大群。
「ね、ねぇ、下ろして」
少年の背中を叩き、震えた声でそう訴える少女。
「だめだって!君、下ろしたら今追ってきてる奴らと戦っちゃうじゃん!流石にあの人数は2人じゃ厳しいって!」
そう少年が言うと少女は顔色を変えて怒鳴った。
「何を言っているの!?戦うことしか私に存在価値は無い!!戦わなくちゃ、私は存在しない!!」
その瞬間。
『貴様らは我らの存在を忘れたのかね?』
2人の脳を直接啄く声。
2人を庇うように現れたのは少女…マニラと契約した人魚の女性、ウェパルと、少年…ハイドと契約した男性、カイムだった。
「嗚呼、なんて醜い人たちなのかしら。やはり主以外はとてもじゃないけれど愛せないわ」
「お主は本当に変わり者であるな。否定はしないが」
そう言うと2人はマニラとハイドを追っていた大群の中に突っ込んでいく。
『良いですか、主。貴女はそこの少年と共に逃げなさい。我らは貴女に仕える者、遠く離れても必ず戻りますゆえ』
『ハイドよ、道中で危機を感じたならばお前の魂に強く語りかけるのだ。僅かではあるが力を貸そう』
「わかった」
「おう!ほら、マニラ!」
2人はその声に返事をすると駆け出した。



一体どれほど走ったのだろうか。
口の中は血の味で溢れ、肺は最早機能を果たしていないのではないかと錯覚するように苦しく、足は動かすのが半ば困難であった。それでも立ち止まれない。何故ならば、未だに別の追手が来ているからだ。
(いくら死なないとはいえ、いい加減に身体が持たないって……)
ハイドがそう思ったのをマニラは感づいたのか、彼の腰を一発殴った。
「っ…!」
声も出すことも辛いこんな状況で一体何なのだ。そうハイドは思いつつ殴られたところを手でさすろうとする。だが、その位置にあるのは彼が必要最低限のものを入れているバッグであった。
「!」
完全に忘れていた。言われていたじゃないか。
ハイドはバッグから夜空のように深く煌めく水晶を取り出し、念じる。
(力を、力を貸してくれ、カイム!)
その声に応えるように水晶が輝きを放つ。
『お嬢さんを抱き抱えろ、そのまま歩は止めるなよ』
カイムの声が響く。ハイドは言われたままにマニラを抱き上げそのまま走る。
「っ!?~~!!??」
訳の分からぬ顔をするマニラを無視し、ハイドはそのまま走る。
まず感じたのは背中への違和感。何かが生えてくるような……そんな感覚。次に感じたのは、足が、正確には身体が軽くなったこと。ひとつ地面を蹴ると身体がふわりと浮く。もう一つ前に重心をかけ蹴るとぐん、と進む。背中に生えた翼が風を運ぶ。飛んでいる。凄まじい速さで。
呼吸が整ってくる。いける。ここを越えられる。
「マニラ、しっかり捕まってて」
マニラは言われなくてもハイドにしっかりと抱き着いていた。彼もまた彼女をしっかりと抱き寄せ、一気に羽ばたいた。



大群を撒き、暫く飛び続けた2人はゼノルガラオを抜け、ヴェルマノア樹海まで来ていた。
少しずつ速度を落としハイドは地面に立つ。マニラをゆっくり下ろしつつ「流石にここまでこの速度で来れば……」と呟いた。
「でも、ここ……ここでどうやって過ごすの?」
マニラは呆れ顔で言う。
「仕方ない、今日は野宿しかないね。どっちみち俺たちはゼノルガラオへは帰れないし」
"ゼノルガラオへは帰れない"
マニラは少し苦しそうな顔をしたが、それはすぐ真顔に戻った。
「とにかく、食べ物を探さなきゃ」
「そうだね。ただ、逸れるとまずい。一緒に行動しよう」
こうして2人は食料を探し始めた。が、手に入るのは木の実ばかり。それは2人でわけるには余りにも少なかった。
「……流石に足りないだろうね、これだと」
「私、思いついた。ついてきて」
そう言うとマニラはハイドに手招きをし、自分の鼻を頼りに海の方へ駆け出した。
木の間を可憐に避け、駆け抜ける。眩しい光が
眼前を覆う。
「ついた」
そうマニラは言うと木の実を地面に置き、バッグから水晶を取り出す。深い闇のように全ての光を吸収する闇の色。その水晶を握り、胸の前に持っていき、願う。
(ウェパル、力を…)
「わざわざ呼ばなくても貸しますとも、主」
驚き振り返るとそこにはウェパルとハイドの頭を撫でているカイムがいた。
「さぁ主、わたくしにどうかご命令を」
ウェパルはそう言うと深々と頭を下げた。
「魚、採りたいの。食べれるヤツ。ハイドが空飛べたから、人魚のあなたならきっと泳げるようになるのかなって」
ちらちらとウェパルを見ながらマニラはいう。
「ええ、できますとも。では主、少々失礼致します」
ウェパルはそう言うとマニラに近づき、彼女の身体に触れるとマニラの身体の中に溶けていった。
『さぁ主、あとは貴女の好きに動いてくださいな』
マニラはこくんと頷くと海に飛び込んだ。




日は暮れ、当たりは真っ暗になった。
マニラが採ってきた数匹の魚と木の実を食べて腹を満たし、2人は明日をどうするか焚き火を挟み向かい合わせで語っていた。
「私、全然知らないの」
「だよね、俺も知らないもん」
はぁ、と2人は溜息をつく。「あぁ~、先行きが暗いなぁ~~……」とハイドは言い後ろに倒れ込む。
「あぁそうだ、ねぇカイム俺たちが寝てる間見張りって頼めないの?」
そう言うとカイムとウェパルが出てきた。
「可能だ。寧ろお前たちはしっかり休んでもらわなくては。我らはお前たちに力を貸すことしか出来ぬからな」
「正しくその通りなのです。ですから主たちはこんにちの疲れをぜひ取って頂かなければなりません。さ、眠ってくださいな。大丈夫です、必ずお守りしますよ」
そう言うとウェパルはマニラの頭を撫でる。その様子を見るとハイドは「じゃあ俺は寝るよ。おやすみ、マニラ」と言い眠りについた。
「……おやすみ」
マニラはそう返すと小さく丸まり眠りにつく。



辺りは、それはそれは奇妙なまでの静けさであった。闇に溶けていくような感覚と似たように、2人は眠りという闇へと意識を溶かしていった。